
法のくすり箱
Q、私は、半年前から家賃月額10万円、敷金50万円、敷引き20万円の約束でアパートの一室を借りていたのですが、私の旅行中にそのアパートが不審火により全焼してしまいました。やむを得ず別の部屋をさがし、前の家主に対して敷金の返還を求めたところ、「賃貸借契約に『賃貸物件が天災・火災・地変等その他の災害により通常の用に供することができなくなったとき、敷金の返還をしない』と書いてあるから敷金は返せない」と言われてしまいました。家を焼け出されたうえに、敷金が一銭も返ってこないなんて納得できません。どうにかならないでしょうか?
A、これに類似した紛争は、平成七年の阪神大震災の際に頻発し、いくつか裁判所の判断が下されています。しかし、その判断内容はさまざまであり、未だに裁判所による統一的な見解は示されていません。裁判例を紹介しながら、こうしたケースを検討してみましょう。
まず、前提として、借家が全焼した場合、その借家の賃貸借契約は、借主または貸主による解約を待つまでもなく、当然契約は終了ということになります。
そして、契約書の中の「天災等の場合には一切敷金を返さない」という特約については、この規定は借主に一方的に不利益を課す条項ですから、公序良俗に違反するものとして無効といえます(民法90条)。ただ、契約終了時に敷金から一定の金額を差し引くという、いわゆる「敷引き特約」の有効性については、いずれの裁判例もこれを認めています。
そこで、あなたの場合には、敷金50万円のうち、少なくとも30万円の返還は、家主に対して当然に求めることができます。
さて、残る敷引き分20万円の扱いですが、あなたがこの敷引きをも返してもらいたいとお考えなら、これについての裁判所の見解は次のように分かれています。
あなたと同様に、借家人の過失や責任でない原因で、たとえば震災や不審火で借家が滅失したケースについて、神戸地方裁判所では、(特段の事情のない限り)「敷引きされることを予定されていた金額は、全て貸主に帰属すると解するのが相当である」として、貸主による敷引き予定額の丸取りを認めました(平成7年8月8日判決)。他方、大阪地方裁判所は、敷引き特約の適用を否定し、貸主に対し、敷引き予定額を借主に返還するように命じました(平成7年2月27日判決)。
同様の事案でありながら、なぜ判断が分かれたのでしょうか。原因はいろいろと考えられていますが、最も大きな要因は、敷引き・保証金に対する理解の違いです。
すなわち、神戸地裁が敷引きの法的性質を「賃貸借契約成立の謝礼、賃料を相対的に低額にすることの代償、契約更新時更新料、借主の通常の使用に伴う建物の修繕に要する費用、空室損料等、さまざまな性質を有するものが渾然一体となったもの」としたのに対し、大阪地裁は「賃貸人の債務不履行による損害や家屋の損傷に関する修繕費用といった賃貸人に生じたであろう損害等をあらかじめ概括的に算定したもの」としました。
少々乱暴な言い方をしますと、神戸地裁が「敷引きは、家主への謝礼や契約更新料、建物の修繕費用や空室損料等さまざまな性質をもつ複雑なものだから、契約が終了したら約束どおり貸主がとるべきである」と判断したのに対し、大阪地裁は「敷引きは賃貸物件の修繕費用であり、賃貸物件がなくなった以上修繕する必要がないから、借主に返すべきである」と判断したといえます。
つまり、賃貸借契約の締結時に当事者が敷引き・保証金の性質をどのようなものと考えていたか、また、その地域では敷引き・保証金はどのようなものと考えられているかに左右されるのです。すなわち、謝礼としての性質が大きくなれば返還が認められにくくなりますが、原状回復費(修繕費用)としての性質が大きくなれば返還が認められやすくなります。
あなたが家主との間で敷引きについてどのような合意をしていたか明らかではありませんが、おそらく、敷引きの性質などはとくに考えることなく契約を結ばれたことと思います。そうすると、あなたのお住まいの地域で敷引きがどのようなものと考えられているかにより結論が異なることとなります。

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