もっと自由に! もっと迅速に!
外国為替及び外国貿易法
エッ、$国内でドルで買物?!¥コンビニで両替?!
外国との取引の全面自由化
H10.4.1スタート
「日本版ビッグバン」とも呼ばれる金融システムの大改革が、今、始まろうとしています。ことばだけは耳にするものの、いったい何が始まろうとしているのか……昨今の不良金融機関の相次ぐ破綻や取付け騒ぎ、また金融不祥事のたび重なる発覚等々、不安材料はいっぱいです。自由化が進むということは、自己責任も増すということ──知らないだけでは済まされません。
今号では、まず、この金融改革のトップを切る外国為替制度の自由化についてみていくことにしましょう。
不自由が残る従来の外為法 |
従来の「外国為替・貿易管理法」では、外国との取引は、外国為替公認銀行という認可・許可を受けた特定の銀行を通じて行うなら原則自由ですが、それ以外はすべて、事前の届出や許可が必要とされていました(外国との証券取引については指定証券会社制度がとられ、外為銀行と同様の規制があった)。さらに、資本取引のうち、海外子会社への貸金や海外からの資金調達、あるいは外債の発行など一定のものについては、たとえ外為銀行を通じて行うものであっても、事前の届出と許可が必要で、その審査には20日間が必要とされていました。このため、一刻を争う貴重な商取引をおこなう上で、大きな障害ともなっていました。(外国為替管理については「ことば欄」参照)
そしてこの外国為替公認銀行には、(1)外国為替取引、(2)外貨預金、(3)外貨貸付、(4)外貨両替業務などが独占的に許されていました。ただ例外として、両替業務だけがホテルや旅行会社・百貨店など限られた業種で一部認められていたにすぎません。
さらに、互いの取引の売掛金や買掛金を帳簿の上で差引きして差額だけで決済する、いわゆる相殺も特殊な支払手段とされて許可対象とされていたため、結局、個々の支払をすべて外為銀行を通じて行わなければならないという煩雑なことになっていました。
個人にしても、海外に口座をもつこと自体は自由でしたが(2億円以下に限る)、外貨預金に限られており、受取口座としては使えないなどの制限がありました。
こうした規制が足かせの一つとなって、世界の金融市場では、すでに自由化を断行したロンドンやニューヨーク市場に比べて東京市場の役割は相対的に低下してきました。加えて、アジア各国が金融市場に参入してきたことにより、東京市場はいまや空洞化しかねない懸念さえあったものです。
1986.4 | 1989.4 | 1992.4 | 1995.4 | |
---|---|---|---|---|
ロンドン | 900 | 1,870 | 3,030 | 4,774 |
ニューヨーク | 585 | 1,289 | 1,923 | 2,655 |
東 京 | 480 | 1,155 | 1,280 | 1,671 |
シンガポール | − | 550 | 739 | 1,066 |
香 港 | − | 490 | 610 | 908 |
「管理」をやめて対外取引は自由に |
今回の法改正で、法のタイトルから「管理」の二文字が消え、新たに「外国為替及び外国貿易法」として徹底した自由な市場を確保する法律として生まれ変わりました。
対外資本取引についての事前届出許可制度は廃止されて自由な取引ができるようになります。特別に、国際収支や円相場が異常に悪化することが懸念される場合や、対外制裁など有事の際の規制を限定的にもうけたのみで、原則完全自由化が完成したわけです。
また、従来の外国為替公認銀行制度(為銀主義)も完全に廃止されました(指定証券会社制度も同様)。これに伴って、前述の(3)外貨貸付と(4)両替業務については、誰でも自由に行えることとなりました。また、海外の銀行に預金口座をつくることも、海外で投資することも、国内同様、まったく自由になりました(円建・外貨建を問わない)。ただ、前述の(1)為替業務と(2)預金業務については、「銀行法」の規制があって免許が必要ですから、金融機関が行うこととなります。
さらに、国内での外貨取引・決済も完全に自由となり、対外取引における相殺なども許可の必要は一切なくなりました。
相殺・ネッティング──膨大な為替手数料の節約 |
この結果、どのようなことが起こるのでしょうか。
まず企業にとっては、個々の取引ごとに外為銀行に支払っていた膨大な為替手数料(円から外貨ヘ、外貨から円へと交換のたびに必要だった)を節約することができます。取引高を相殺して、その差額分だけの受渡しでよくなるため、最終的な送金についてのみ為替手数料を支払えばよいのです(送金は為替業務で銀行の仕事)。
企業グループなどでは、グループ内のいくつもの会社でこうした差額決済を行い(ネッティング)、最終的には身内内につくった金融子会社でまとめて資金決済をすることで、飛躍的に金融事務の合理化と費用の節約を行うことも可能です。
さらに、国内での外貨決済が自由となったので、たとえばメーカーが商社を通じて輸出した代金をドルのまま受け取り、そのドルを使って再び原材料を輸入することも可能となりました。また、輸出で外貨をたくさん抱えた企業が、反対に外貨を必要とする企業に直接売る(銀行を通さずに)こともできます。
そして何より、内外の資本投資が自由になったことにより、今まで以上に、少しでも有利な投資市場を求めて、企業の抱える資産が世界を駆けめぐることになるでしょう。
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個人にとってはどうでしょうか。たとえ資産家ではなくとも、外為法の改正を享受できる方法はいくつかありそうです。
たとえば、円建・外貨建を問わず海外に預金口座を自由にもつことができますから、海外通販などをよく利用するため特定の国に頻繁に送金するとか、あるいはよく出掛けるのなら、その国に外貨建の口座をつくっておけば、支払や出金の際に小切手を振り出すだけでOKです。高い為替手数料・送金手数料を払う必要や、トラベラーズチェックをわざわざ切る必要もなくなります。さらに国内の低金利とは違って当該国の高い金利を得ることができますし、現地通貨で使うのなら、為替変動の影響を気にする必要もありません。また受取利息も、原則としては申告して国内同様2割の税金を納めねばなりませんが、現実にはその実態は把握されず事実上非課税となっています(政府としては、この利子課税への徴税を強化する方針である)。
また、インターネットを利用して、手数料がきわめて安い海外の証券会社をみつけて海外や国内の株式を購入することも可能です。
さらに一般的には、海外旅行にでかける前の両替がもっと便利になるでしょう。両替業務が自由化され、大手金券ショップやコンビニなどでも両替ができるようになり、競争がはげしくなれば、いまは横並びの為替手数料も次第に安くなる見込みです。旅行で余ったドルを友人に売ることも大手をふってできることになります。また、国内にドルショップなど外貨で支払うことができるお店がお目見えすれば、余った外貨を国内で使うこともできるようになるでしょう。
デメリットも含め商品・経営の公開を |
こうした一連の措置により、資本の出入りは自由となりました。いったい、日本の資本が外国に流出するのか、それとも日本の市場が魅力あるものとなって外国資本が流入してくるのか。それは、日本市場がいかに透明で使いやすく有利であるか、金融・税制・法制すべてにわたる評価が問われているといえましょう。言い換えれば、現在進められている金融システムの改革がどう進んでいくかにかかっているともいえます。
また金融の自由化は、金融機関にとってはきびしい時代の到来です。いかに便利で有利な金融商品を提供できるのか、生き残りをかけた競争が始まることになります。
なお、自由化に伴い、どこにどのように投資するのかの判断をめぐり、その金融商品やあるいは投資先の経営状態がデメリットも含めて広く開示されることが何よりも重要となってきます(ディスクロージャー)。この情報をもとに自己責任において預金・投資・取引を行うことになるからです。また、国際収支や為替相場は、まったく放任できる性質のものでもありません。このため、新しい外為法では、取引は自由に行われるものの、事後報告を確実にするための整備も行われました。このデータをもとに資金の流れや国際収支統計が作成され、これが各市場の判断材料ともなり、また国際金融の安定に役立てられることとなります。
為替とは、現金を送るかわりに手形や小切手・証書などの受渡しで決済することをいう。広くは、振込送金などもこれにあたる。
古く、交通・通信が未発達な時代には、外国との取引は例外的なものにすぎなかったが、経済の動きが世界的なものとなるにつれて、外国為替の役割は重要なものとなってきた。もし対外取引に一切の規制をおかなければ、国力の弱いところでは、国際収支が極端な赤字になったり、国内資本が外国に流れていったり、外国通貨との為替レートも急変したり、国内経済は破綻必至となる。これらを防ぐために、各国とも外国為替を国家的な統制下において管理してきた。
日本でも、昭和24(1949)年に、対外取引原則禁止の体系として「外国為替及び外国貿易管理法」(外為法)が制定された。しかし高度成長で実力をつけた日本経済は、昭和48(1973)年には1ドル365円の固定相場から変動相場へ移行し、昭和55(1980)年には外為法も内外取引は原則自由の法体系へと改められた。
しかしその後、EU(欧州連合)発足に代表される取引の自由化が世界的に一層進み、また通信手段の発達によりリアルタイムでの取引が世界を駆けめぐっている。これに対応するため、今回、外為法にまだ残されていた広範囲の届出・許可制度を原則廃止し、市場原理に委ねることになったものである。