脳死移植に道ひらく   平成9年10月16日施行
臓 器 移 植 法 の 制 定

――ドナー(臓器提供者)に限り「脳死は人の死」
――本人の書面による意思と家族の同意を尊重

 医学の進歩にはめざましいものがあります。臓器移植の成功やその後の経過がしばしば報道され、これらのニュースは、移植によってしか回復の望めない患者とその家族に希望と生きる勇気を与えています。
 今回、臓器移植に関する全般的な法律「臓器の移植に関する法律」が制定され、平成9年10月16日から施行されることとなりました。

端緒についた日本の臓器移植医療

 これまで、臓器移植の中で法的に定められていたのは、角膜(昭和33年)と腎臓(昭和55年)だけでした(「角膜及び腎臓の移植に関する法律」)。死後、遺族が書面による承諾をした場合や、死者が生前に書面で臓器の提供を承諾していて遺族もこれを拒まないときに、これら臓器の移植が行われています。そして、これ以外の臓器移植についての法律は一切ありません。
 諸外国においても、とくに法的な規定をせずに、臓器移植をさかんに行っている例はもちろんあります。しかし、日本の場合は、世界的にも臓器移植のもっとも初期の時期である昭和43年に心臓移植が行われ、その行為が殺人容疑で告発されるという事態が生じました。というのも、臓器のなかでも心臓と肝臓は、血流が止まってしまってから摘出したのでは移植はほぼ不可能なため、「脳死」といわれる状態で摘出する必要があります。そして通常の「死」として認める基準である、(1)心臓の停止、(2)呼吸の停止、(3)瞳孔の散大という3つの条件に照らすとこれは「殺人」とされるからです。

☆日本初の心臓移植
 昭和43年(1968年)8月、札幌医大の和田教授が実施。患者はいったん回復したものの、83日後に死亡。同教授は殺人容疑で告発されたが、証拠不十分で不起訴となった。当時は拒絶反応なども十分知られていない初期の段階であったことに加え、ドナー(心臓提供者)の死亡判定や患者への移植の必要性をめぐって、十分な情報の公開や説明が行われず、疑惑や疑問を残したまま不透明な形で処理され、以後の移植医療を停滞させる一因ともなった。

☆「脳死」とは?
 脳全体が機能を失い、二度と回復の見込みがない状態。医学の進歩により、人工呼吸器を使って数日〜1週間、長くて数週間、心臓を動かし続けることができる。自力では呼吸できないため、呼吸器をはずすと数時間〜数日で心臓も止まる。
 これに対して「植物状態」とは、大脳の機能は失われているが、呼吸や心拍をつかさどる脳幹という部分が生きていて、自力で呼吸ができ、意識が戻るなど回復することもあり得る状態をいい、脳死とはまったく異なる。
 脳死となるのは全死者の1%程度。交通事故などの外傷やくも膜下出血が主な原因となる。救命救急医療の現場では、脳死状態となると、家族の同意を得て、血液製剤等の薬や栄養補給を中止するなど治療を削減したり、人工呼吸器をはずすなどの措置が現実にとられている。

 以来、日本では脳死者からの移植は皆無にちかく、主に心臓停止後の死者からの一部臓器の移植か、あるいは変則的な形として、生体間移植(生存中の両親等親族から臓器の一部を提供してもらう)の研究が進められてきました。こうして、移植医は外国に出向いて経験をつみ、重症な患者は待ちきれずに外国に出向いて手術を受け、もちろん臓器は外国人の方からいただいたものという特異な状態が放置されていました(これに対して、たとえばアメリカでは、1996年の1年間で脳死者からの心臓移植は2340例、肝臓移植は4012例にのぼる)。
 そこで平成9年10月、こうした脳死の問題も含めて、臓器移植全般にわたる法律の整備がようやく行われることとなりました。

臓器摘出には──本人の書面による意思と家族の同意が必要

 臓器移植を行うにあたっては、何より臓器提供者の任意の意思を尊重し(法2条)、いやしくも臓器売買等がけっして行われてはならない(法1・11条)ことが、大原則としてかかげられます。
 そして具体的には、この臓器移植法とともに、平成9年10月8日に公表された厚生省令(法律施行規則)と臓器移植のガイドライン(指針──実際の手順やあらすじの細かい事項をまとめたもの)に沿って実施されることとなっています。
 まず、法の対象となる臓器ですが、心臓・肺臓・肝臓・腎臓・眼球(法5条)及び膵臓・小腸(規則)と定められました。
 摘出できるのは、本人が生前に書面で提供する意思を明らかにしている場合で、しかも、遺族がこれを拒まないかあるいは遺族がいないときに限られています(法6条1項)。この本人の意思表示は15歳以上を有効とし(遺言が有効な年齢に準ずる)、同じく遺族の範囲は、原則として配偶者・子・父母・孫・祖父母及び同居の親族とされました(指針)。
 さらに、脳死した人の身体から臓器を摘出する場合には、右の意思表示に加えて、生前、書面で脳死の判定に従うことを明らかにしている必要があり、このことを家族が拒まずあるいは家族がいない場合に限られます(法6条3項)。

臓器提供の場合に限り 「脳死」=人の死

 臓器の提供のための脳死の判定には、臓器摘出や移植手術に携わる医師とは無関係であり、しかも的確な知識・経験を有する医師2名があたり(法6条4項)、1回目の判定の後、6時間後に再び判定が行われ、この2回目の判定終了時を死亡時刻とすることが定められました(指針)。交通事故などで検視が必要な場合は、脳死判定後ただちに検視が行われ、その後、臓器が摘出されることになります(指針)。
 この規定により、一般的には従来からの心臓死が人の死として認められる一方、臓器の提供を行う場合に限り、2回目の脳死判定終了時を人の死と法的に定めたこととなりました。

☆脳死の判定基準
 昭和60年(1985年)厚生省研究班が判定基準を公表したもので、現在、概ねこれが採用されている(竹内基準ともよばれる)。
   (1)深い昏睡状態
   (2)自発呼吸がない
   (3)瞳孔が固定し開いている
   (4)脳幹反射がない
   (5)脳波が平坦
 これらの状態が6時間後も変化しない場合に脳死とする。今法の施行では、これに加え、聴性脳幹反応の有無を補助検査として行うことを努力項目として盛り込み、慎重を期すこととなっている(規則)。

 なお、臓器の提供ができる施設は、救命救急医療の設備や組織が充実し、さらに信頼できる脳死の判定が下せるようにとのことで、大学付属病院や日本救急医学会が指定する指導医指定施設、さらに救命救急センターに限定する方針がとられました(指針、1998年10月現在384施設)。
 一方、臓器を受入れ移植手術をする医療機関についても、その技術・設備・組織・経験等を考慮して移植関係学会合同委員会が選定する機関に限るとされています(指針)。現在のところ、心臓移植については東京女子医大と大阪大・国立循環器病センターの2グループが、肝臓移植については信州大と京都大の2病院があげられていますが、腎臓等についてもこれまでの実績などをもとに選定される予定です。

最も適切公平な選択を確保するために

 提供された臓器は、けっして無駄にされることなく、もっとも移植に適した(提供者と患者の体重・血液型・白血球の型等の組織適合性が高いほど移植の成功率も高い)、しかももっとも緊急を要する患者さんに移植される必要があります。お金による売買が許されないのはもちろん、金や権威等により移植の順位が左右されるようなことがあってはなりません。
 そこで、臓器提供者(ドナー)移植を受ける患者(レシピエント)の間に、プロの移植コーディネーターが入って、もっとも適切で公平な選択を行うことになります。このあっせん業には臓器の別ごとに厚生大臣の許可を受けなければなりません(法12条)。
 そして、全国に1つの社団法人をつくり、ここがすべての情報を一元的に管理して、もっとも適切・迅速な斡旋を行います。もちろん、このあっせん機関は、救命救急医療や脳死判定・移植医療とはまったく切り離された機関です。すでに平成7年(1995年)に発足した日本腎臓移植ネットワークを母体として、「社団法人日本臓器移植ネットワーク」が設立されて、現在この活動にあたっています。

記録による厳重な管理と
臓器売買には厳罰

 これら臓器の摘出とあっせん・移植の全過程において、正確な書面・記録・帳簿の作成とその保存が義務づけられています(法6条6項・10条・14条)。
 そして臓器売買に関与した者には、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金、またはそのどちらもが科され(20条)、さらに臓器売買で得た利益はそのすべてが没収(その時点でできなければ追徴してでも)されることになります(法25条)。また、脳死判定についての書面に虚偽の記載をした者は、3年以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる(21条1項)など、罰則の規定も整備されました。
 なお、これまでは提供者本人の意思表示がなくとも、遺族の書面による同意で死者からの摘出がなされていた腎臓と角膜については、これまでどおり、当分の間、脳死以外の死者について、遺族の書面による承諾だけで腎臓と眼球は摘出できることとしています(附則4条)。

ドナーカードの普及が不可欠な急務

 人の生死についての考え方は千差万別です。臓器移植に対してもいろいろな考え方があって当然で、とくに頭でわかっても心が納得しない分野だともいえましょう。今法では、何より、臓器提供者本人とその家族の意思が最優先され、そのうえで、いかに的確・明瞭な移植医療が行えるかが目指されることとなりました。その意味で、確かに、脳死を人の死とはっきり法的に規定し、遺族の了承だけで臓器摘出ができるような外国の例に比べるときびしい規定となっています。
 すなわち生前に、臓器提供と脳死判定に従うという書面を作成し持っていなければ、心臓や肝臓の臓器移植は実現しないわけで、現実に移植手術が行われるのは数年〜十年先ともいわれています。このためドナーカードの普及は緊急・不可欠なものであり、日本移植学会や(社)日本臓器移植ネットワークなどが中心になってその配布につとめています(年間100例の心臓移植をするにはドナーカード所持者は3000万人必要という計算もある)。しかしこのドナーカードはまだまだ普及していないのが実情です。将来的には、運転免許証に臓器提供の意思等を記載することも検討されています。
 救命救急医は、日夜、人びとの生命を助けるために懸命の治療をしています。一方、臓器移植を待ち望む重症患者を抱えた医師たちも、その生命を救うために懸命の診療をしています。こうした医療への信頼をとりもどし、臓器移植が定着・普及するには、臓器提供者とその家族、そして患者とその家族への懇切なわかりやすい説明に基づく合意の形成が何より不可欠でありましょう。医師や看護婦、コーディネーターには、医学的な知識のみならず、急な事故等で家族の一員を失おうとしているご家族の気持ちを尊重するメンタルケアをも含めた本来の医療が要求されています。
 と同時に、移植医療に対する国民の広い賛同を得るためには、従来の不透明な部分を払拭し、十分な情報公開がなされた上での、国民に開かれた新たな臓器移植が確立される必要があるでしょう。今法がその第一歩となることが期待されています。




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