少数民族の存在を初めて法的に認める

アイヌ文化振興法の制定

平成9年7月1日施行

 日本は単一民族国家である──これが、ほんの11年前までの日本政府の正式な見解でした。今回制定された「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(アイヌ文化振興法)は、日本に少数民族が存在することを法的に初めて認めた画期的なものです。

明治以降の同化政策
今も残る差別と格差


 アイヌ民族は、もともと、樺太南部・千島全島・北海道・東北北部に住んでいて、漁労・狩猟を中心とした生活を営み、独自の言語・文化をもった民族です(コンブ・ラッコ・トナカイなど、そして北海道の多くの地名はアイヌ語に由来する)。その文化はほぼ12〜13世紀(鎌倉・室町時代)に確立したと考えられています。
 明治以降日本に所属するとされ、徹底した同化政策と伝統的な生活様式の否定が行われました。日本政府は土地を取り上げ、鹿やサケを捕ることを禁止します。昔から住んでいたアイヌ民族にとって、川で魚もとれない、山で狩りやたきぎを拾うこともできないという、生活そのものが成り立たない状態に追い込まれたわけです。そして「北海道旧土人保護法」が制定され(一八九八年)、農業をするなら一戸につき一万五千坪の土地を与える(和人移民の一〇分の一)一方、共有財産を北海道庁長官(北海道知事)の管理下におくことにしました。なんとこの法律は、現在まで生きていたのです。
 こうしてアイヌ民族は、徹底した同化政策により、ことば・文化・生活の場を奪われ、差別された状況のまま放置され、公には、同化が完成し日本は単一民族となった、つまりアイヌ民族は消滅したとされていたのです。

アイヌ文化の振興と知識の普及をめざす


 今回の新法は、この「旧土人保護法」を廃止し、同時に、アイヌ語やアイヌ文化の振興と知識の普及をめざすものです。「アイヌの人々の自発的意思及び民族としての誇りを尊重することに配慮しながら」政策は行われることになります(4条)。

 国は「基本方針」を作成公表し(5条)、これに基づいて北海道では「基本計画」を定めることとなります(6条及び施行令)。そして「アイヌ文化振興・研究推進機構」(仮称)という財団法人が設立されて、アイヌ文化継承者の育成や伝統文化についての広報活動あるいは調査研究が行われることとなりました(7〜13条)。
 このように、新法は、アイヌ文化の振興法にとどまるものです。しかしその一条の中にあるとおり、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする」と、少数民族の存在を初めて法的に認め、多様な文化の共生をめざす画期的な一歩となったものです。

問われる「先住性」の認定


 新法では、アイヌ民族を先住民として認めることは見送られました。参議院本会議と衆議院の内閣委員会で「アイヌの人々の『先住性』は歴史的事実」という付帯決議がなされたにとどまります。
 世界的には、1992年12月10日の国際人権デーから始まった国連の「国際先住民年」をきっかけに、先住民の人権が見直されています(この会議にはアイヌ民族も参加)。
 たとえばカナダにおいては、1980年代から先住民族への土地の返還が始まりましたが、1999年にはイヌイット(エスキモー)の新しい自治政府(ヌナブット準州)が誕生することが決まっています。またオーストラリアでは、アボリジニ土地権利法が制定され(北部準州、1976年)土地の返還が進められて、準州の34%の土地が先住民族の土地として認められています。このほか、先住民族のことばを準公用語とする法律が制定されるなど、各国で先住民族の文化と生活と人権を守る政策が進められています。
*  *  *

 これに対して日本での新法は、アイヌ文化の保護と振興を図るという、まさに限られた第一歩となりました。こうしたアイヌ文化を守るためにも、その文化を支える生活を保証する政策が不可欠といえましょう。アイヌ民族の「先住性」をどういう形で認め、保障していくのかが、今後の課題として残されています。




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